ラジオ番組には必ず放送作家がつき、パーソナリティと打合せのもと、番組が成り立っています。
そこで今回はマヂカルラブリーのオールナイトニッポン0の放送作家である福田卓也さんについて紹介をさせていただきます!
▼マヂラブのラジオは面白い・・・!まずは神回を聴いてみてはいかがでしょう?
マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0の放送作家は?
冒頭でも述べておりますが、マジカルラブリーのオールナイトニッポン0を担当している放送作家は福田卓也さんとなります。
放送開始の第一回(2021年4月2日放送)から、この記事を書いている2022年12月現在も担当しております。
ここでは放送作家:福田卓也さんの概要をまとめてみました。
放送作家:福田卓也さんのプロフィール
生年月日 | 1988年3月10日 |
出身地 | 滋賀県 |
学歴 | 立命館大学卒 |
あだ名 | 福田君・ダーフク・福ちゃん |
放送作家:福田卓也さんのプロフィールをまとめると上記となります。
立命館大学卒なので、高学歴です。
あだ名は担当したパーソナリティから名付けられたものとなり、アルコ&ピース平子さんから「福ちゃん」、いきものがかりのボーカル、吉岡聖恵さんから「ダーフク」と呼ばれておりました。
放送作家:福田卓也さんが放送作家になったきっかけは?
学生時代に鈴木おさむさんが担当していたラジオ番組『THE 放送サッカーズ』(2006年10月2日から2007年3月29日まで放送 月~木曜21:00~22:00)のコーナー『鈴木おさむの弟子募集!』にハガキを送ったことがきっかけとなります。
とりあえずたくさんハガキを送れば読んでもらえる確率が上がるだろうと考えたそうで1週間で50通ほど送っていたそうです。
その後、運よく面接に辿り着き、無事に合格を得て放送作家として担当することとなりました。
最初は雑用業務などが主な業務だったそうですが、この時の経験があったからこそ、数々の人気番組を担当する放送作家となれたのだと思います。
きっかけを与えてくれた鈴木おさむさんの名前を師匠としてあげるのも納得です。
放送作家:福田卓也さんがなぜ放送作家になりたかったのか?
もともと「ナインティナインのオールナイトニッポン0」のリスナーだったそうで、ラジオ中に聴こえて来るパーソナリティ以外の笑い声が気になり、調べたところ、放送作家であることがわかり、目指すようになったそうです。
当時は放送作家になる方法がわからず、とりあえず大学に行って、放送局等に就職する予定だったそうなので、鈴木おさむさんの番組コーナーは福田さんにとってとても良いきっかけを与えてくれるものだったに違いありません。
放送作家:福田卓也さんの担当番組
担当している主な番組を一覧にしてまとめましたのでご覧ください!
番組名 | 放送局 |
---|---|
有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER | JFN系列局 |
三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 |
アルコ&ピース D.C.GARAGE | TBSラジオ |
Creepy Nutsのオールナイトニッポン | ニッポン放送 |
佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 |
四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919 | ラジオ大阪 |
マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 |
こうしてみると多くの人気番組を担当されていることがわかります。
ニッポン放送だけでなく他局の番組も担当されていることから、人気放送作家といっても過言ではないでしょう。
放送作家:福田卓也さんの評判や人気の理由
結論からいうと、福田さんの評判は非常に良いです。
担当番組の数を見てもそうですが、業界内でも非常に有望な存在となっています。
その理由は人気ディレクターである石井さんの書籍『アフタートーク』では、福田さんの事を「天才」と述べているからです。
また以前放送されていた「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」の一部でラジオコントを行っており、その台本を考えていたのが福田さんということもあって、当時聴いていたリスナーからも評判は良かったそうです。
リスナー然り、業界内でも評判の良い放送作家さんなので引く手あまたになるのもわかります。
放送作家はどんな仕事をする人?
放送作家とは、テレビやラジオなどの放送媒体で放送される番組の台本やナレーションを担当する作家のことを指します。
放送作家は、テレビ番組やラジオ番組の企画から台本の作成、演出のアイデアを考えるなど、番組を作る上で欠かせない役割を果たします。
また、放送作家は、番組の企画や台本の作成だけでなく、番組内でのナレーションやトークを行うこともあります。
放送作家は、番組の企画から台本の作成、演出のアイデアを考えるなど、番組を作る上で欠かせない役割を果たします。
放送作家にはどうやってなるの?
残念ながら、この仕事に就くために決まったルートはありません。
基礎知識や人脈が必要となるため、放送作家やシナリオライターの専門学校に通ったりすることも1つの手段となります。
それらで得たものを、シナリオコンテストで賞を獲得したり、放送局や番組製作会社に入社して、将来的に放送作家への道筋が切り開かれていきます。
ハガキ職人から放送作家になった人は?
放送局に入社を目標にするのも良いですが、福田さんのようにラジオ番組にハガキを投稿しつづけ「ハガキ職人」となって、放送作家になる方もいます。
ここでは「ハガキ職人」から放送作家になった方々を紹介します!
畠山健さん(ラジオネーム:ゴミを拾おう)
現在も活躍されており、一番有名な方かもしれません。
ナインティナインのオールナイトニッポンのハガキ職人だった畠山さんでしたが、
応募していたハガキに「作家になりたい」と書いて投稿した際に、
電話がかかってきて、作家の道が開いたそうです。
出待ちとかは行っておらず、ネタ投稿のハガキのみで作家になれた方となります。
ちょうどハガキもよく読まれていた時だったそうで、タイミングが重なったのかもしれません。
現在はナインティナインのオールナイトニッポンのサブ作家、
霜降り明星のオールナイトニッポンの構成作家として活躍されており、
今年、3月に公開されたラジオ番組、「あの夜を覚えている」では、脚本監修という立場で参加されていました。
セパタクロウさん(ラジオネーム:さすらいダーリン)
『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』のハガキ職人だったセパタクロウさん。
小さい頃から両親の影響が大きく、家事や掃除の時に常に流れていたそうで、ラジオを耳にすることが多かったそうです。
両親や姉が好きなテレビ番組を独占させられてしまい、自分の中で唯一選択権があったのがラジオだったそう。
そういったこともありラジオの世界にどんどんハマっていったみたいです。
転機となったのは冒頭で書いた、『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』の番組で初めてネタメールが読まれ、
その後番組から声をかけられて放送作家として活動が始まったそうです。
現在は「山里亮太の不毛な議論(TBSラジオ)」を担当されており、
人気のある作家の1人でもあります。
細田哲也さん(ラジオネーム:顔面凶器)
ナインティナインのハガキ職人だった細田哲也さん
若くして放送作家への道を手に入れて、
ナインティナインのオールナイトニッポンを12年間担当されておりました。
現在はフリーで活躍されておりますが、数年前に出したnoteの内容がすごく面白いので紹介させていただきます。
放送作家という部分の記載は少ないですが、波乱ありの人生にあっという間に読めます。
もしよければ一緒にご確認ください!
まとめ
マヂカルラブリーのオールナイトニッポンの放送作家、福田さんについて紹介させていただきました。
放送作家を目指すにはなかなか険しい道であることがわかったと思います。
その中で人気番組を多く担当する福田さんは、かなりの実力のある方であることがわかったでしょう。
これからもたくさんの番組に携わっていただき、楽しい番組を提供してくれることを楽しみにしております。